2009年12月18日
チェチェン共和国
ロシアの憲法上ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつである。しかしソビエト連邦解体後、チェチェンの独立を求める武装勢力(チェチェン・イチケリア共和国を呼称)と、ロシア政府及びロシアへの残留を主張するチェチェン人勢力との間で現在も紛争が続いている。
劣勢の独立派はテロリズムに走っているといわれており、独立派の関与したとされる事件は、犯行声明が出されているものだけでも2002年10月のモスクワにおけるドゥブロフカ劇場占拠事件、12月のグロズヌイの行政府ビル爆破事件、2003年6月のモスクワ野外コンサート会場爆破事件、2004年5月のカディロフ大統領暗殺事件、8月の旅客機同時ハイジャック事件、モスクワ地下鉄駅付近爆破事件、9月の北オセチア共和国ベスランにおけるベスラン学校占拠事件などがあり、枚挙に暇がない。
プーチン政権もただ手をこまぬいていただけではなく、2005年11月には共和国議会選挙が行われ、ロシア政府は「チェチェン紛争の政治的解決プロセスの総仕上げ」としてこの結果を評価した。これに対しては正常化に向けた前進と評価する意見が存在する一方、独立派はロシアによる一種の「翼賛選挙」と強く反発している。
また2006年10月には、ロシア政府のチェチェン政策を批判して来たロシアのジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤが何者かに暗殺された。ロシアでは近年、著名人やジャーナリストなどの暗殺・暗殺未遂事件が相次いでいる。
2009年5月、ロシア政府はチェチェンでのテロ活動が沈静化したとして、「反テロ特別治安体制」を終了すると宣言した。
18世紀にロシア帝国がカフカースへの南下を進めると、チェチェン人はロシアの支配に対して激しく抵抗を繰り広げたが、1859年にロシア帝国によって周辺地域とともに併合された。
ソビエト連邦の成立後、チェチェン・イングーシ自治共和国としてロシア・ソビエト社会主義連邦共和国の一部とされたが、第二次世界大戦中の1944年に、チェチェン人とイングーシ人約50万人は対独協力をおそれたヨシフ・スターリンによって、カザフスタンやシベリアへ強制移住させられた。彼らは1957年に母国への帰還を許され自治共和国が再建されるがモスクワの中央政府に対する不満は残り、ソ連邦崩壊後にチェチェン共和国がイングーシ共和国と分立すると、チェチェン大統領ジョハル・ドゥダエフは1991年11月にロシアからの「独立」を宣言した。
連邦政府はチェチェンの離脱を拒絶し、1994年12月にロシア大統領(当時)ボリス・エリツィンはチェチェン独立を阻止するため4万の軍隊を派遣し、10万人の死者を出した第一次チェチェン紛争に突入し、チェチェン紛争は泥沼化した。激しい戦いの後1995年2月にロシア軍はようやくチェチェンの首都グロズヌイを制圧。1996年8月にエリツィンとチェチェンの武装勢力のリーダーの間で停戦が合意された。そして1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され、五年間の停戦が定められた。
ところが、カフカース圏における「大イスラム教国建設」を掲げるチェチェン側武装勢力は1999年8月7日、和平協定を破り突如隣国のダゲスタン共和国へ侵攻。また、同時期にモスクワではアパート爆破などの大規模なテロが発生した。このため、連邦軍がチェチェンへ進撃し紛争は1999年9月に再開。1997年の和平協定は無効となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
北カフカース地方の北東部に位置する共和国です。
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